4月 152017
 

J-CASTニュース によると。

 きっと泣くまいと決めていたに違いない。

 だが、彼女が21年に及ぶ競技生活に込めた思いは、それを許してはくれなかった。

 浅田真央ちゃん(あえて、「ちゃん」と呼ばせてもらう)が引退会見で、最も印象に残っていると挙げたのは、3年前のソチ冬季五輪のフリープログラム(FP)の演技だった。私にとっても心に残る演技で、いまでもビデオを保存している。ショートプラグラム(SP)で16位と大きく出遅れながらも、完ぺきな演技を見せてくれた、あの奇跡的な場面を振り返ると彼女の競技人生の一端が見えてくる。

■「止められてでも、リンクに助けに行くから」

 2010年のバンクーバー冬季五輪でライバルとして競い合ってきた韓国の金妍兒(キム・ヨナ)に次ぐ銀メダル甘んじた彼女は、ソチ五輪で金メダルを手にすることを目標に、4年間、努力を続けてきた。10代半ばのころと比べて身長や体重も増え、得意のトリプルアクセルが跳べずに不調に陥り、引退まで考えたこともあったという。それでもグランプリファイナルで優勝し、ソチにも万全の体調で乗り込んできたはずだった。

 SPでは押し潰されそうな重圧のなか、冒頭のトリプルアクセルで転倒し、コンビネーションジャンプも不発に終わった。まさかの16位だ。演技の後、放心状態でインタビューに応じた彼女は「まだ何もわからないです」と答えた。二十数時間後に行われるフリープログラムでは、どんなに高得点をたたき出してもメダル圏内に入ることは不可能だ。佐藤信夫コーチが見かねて、人のいない男子更衣室に彼女を誘った。

  「(3回転ジャンプを)できない原因は見当たらない。間違いなくできるはず」

 彼女は聞いているのか、聞いていないのか、ただ茫然としていたという。佐藤コーチは続けた。

  「死ぬ気でやれ。何かあれば、先生が止められてでも、リンクに助けに行くから!」

 ここからFPまでの二十数時間に何があったのか。ユーチューブに数々の証言が記録されている。

 宿舎に戻った彼女は、なかなか寝付けなかった。「4年間目指してきたものが、一瞬にして消えてしまった」という現実に打ちのめされていた。姉の舞さんからのメッセージにも返事を送る気になれなかった。「このままじゃ日本に帰れない」とも思った。周囲は「気持ちを切り替えろ」と励ましてくれるが、頭ではわかっていても心はすぐには反応できるものではない。寝付いたのは午前4時過ぎだったという。

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