4月 162017
 

webスポルティーバによると。

 日本の女子フィギュアスケート界にとって、平昌五輪プレシーズンは大きな変化があった1年となった。エースの宮原知子をケガで欠いた世界選手権で、2006年のトリノ五輪から続いていた五輪出場枠「3」を逃し、4月に入ってからは浅田真央が引退を表明。終盤こそ少し寂しいニュースが続いたが、全体を通して見れば収穫が多いシーズンだったと言えよう。

 まずは、現エースの宮原知子の成長だ。シーズン序盤はなかなか勝ちきれなかったものの、課題を克服しながら実績を積み上げた。昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルのショートプログラム(SP)では、自己最高となる74.64点を記録し、2位のケイトリン・オズモンド(カナダ)と0.90点差の3位につけた。

 フリーでも好調を維持した宮原は、前半で3回転フリップが回転不足となった以外は完璧な滑りを披露した。演技構成点も、すべての項目で8点台後半を叩き出すなど、自己最高の143.69点を獲得。合計点では当時の歴代2位となる227.66点を出したエフゲニア・メドベデワ(ロシア)に敗れたが、キム・ヨナ(韓国)、メドベデワ、アデリナ・ソトニコワ(ロシア)以外の選手が出した最高得点となる218.33点で女王に迫り、充実した戦力を誇るロシア勢と競い合える実力を世界に証明した。
 小柄な宮原は、他のトップ選手と滑りの重厚感に差が出るところを「スピードでカバーした」と濱田美栄コーチは振り返る。それを可能にするのは、宮原自身も「フリーでは、体力の不安を感じたことがない」という、豊富な練習量に裏打ちされたスタミナだ。左股関節の疲労骨折により四大陸選手権やアジア大会、世界選手権の出場を辞退したが、しっかりコンディションを整えられれば、日本女子のなかでは平昌五輪のメダリスト候補の筆頭であることは間違いない。

 そんな宮原を追いかける、三原舞依が急成長したことも大きな収穫だった。三原は昨季のジュニアGPファイナル出場後に、関節の痛みを発する若年性特発性関節炎を発症。シニア1シーズン目は治療をしながらの競技挑戦になったが、GP初戦のスケートアメリカで3位に入った。次の中国杯では、自己最高の190.92点を記録しながら4位にとどまりファイナル進出を逃したものの、全日本選手権で3位に食い込んで四大陸選手権と世界選手権の代表に選出された。

 SP4位発進となった2月の四大陸選手権のフリーでは、「練習で何度もノーミスをしていたので自信があった」と力みのない柔らかなジャンプをすべて決めて134.34点を獲得。SP1位のガブリエル・デールマン(カナダ)や、同2位のオズモンドらを上回る合計200・85点で優勝を飾った。

 平昌五輪の出場枠がかかった世界選手権は、宮原不在のプレッシャーも重なるなかで開幕を迎えた。SPでは最後の3回転フリップが2回転となり、しかも転倒してしまうミス(0点)を犯して15位。しかし、フリーでは気持ちを切り換えてすべてのジャンプを成功させた。四大陸で5項目すべてが7点台に終わった演技構成点も4項目で8点台に乗せ、フリー4位の138・29点、合計197.88点の5位とジャンプアップを果たした。SPでのフリップの失敗がなければ205点台を記録する可能性も十分にあり、次のシーズンにつながる大器の片鱗を大舞台で見せつけた。

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