4月 172017
 

スポニチアネックス によると。

 退出直前、ほら、涙こぼれてないでしょと言わんばかりに頬を指差す浅田真央さん。でもこの後に少しだけこぼれちゃったのは内緒

 言葉に詰まりクルリと背中を向けてしまった彼女を見てそんなことを考えた。今度、振り返ってくれるときは前よりずっと素敵な笑顔を見せてくれる。だっていつもそうだった。

 午前11時半の開始予定に報道陣の一番乗りは午前6時だった。フィギュア専科の人、事件、事故の現場で会う人、芸能関係で会う人、プロ野球、サッカー…。「ここに土俵はないぞ」とからかわれているのは国技館でしか会わない人。各方面のカメラマンたちがひしめき合ってレンズを構えた。それぞれが彼女との思い出を持ち、自分こそが一番の写真を撮れると思っている不遜な輩たち。引退会見だというのに最高の笑顔が撮りたいという変な輩たち。彼らの熱さに気圧されて私の撮影位置は会見席の真横、3段の列の最後方で脚立の天板に仁王立ちだ。

 「GO MAO」のバナーも「真央ちゃんガンバ!」の掛け声もない中で会見は始まった。

 「私、浅田真央は…」。高速シャッターやストロボの閃光で時を止めることを生業にしているボクらでもそれに続く言葉は止められなかった。

 「もう一度人生があるならスケートへは行かないと思います」で、脚立から転げ落ちそうになった。

 「結婚」と「台湾」で、いい表情が撮れた(彼女は質問者の方向に体ごと向けて答えるので撮影位置のハンデはない)。

 最後のあいさつ。「笑顔で前へ…」で、切なくなった。

 今までに何度か彼女の笑顔を待っていたことがある。一番の記憶は2012年の宮城・利府町でのNHK杯。前年の東日本大震災。「自分は競技をしていていいのか」という多くのアスリートと同じ悩みを抱えた。最愛の母との別れ。そして春の世界選手権以降、笑顔の数が減った。もしかしたらこのまま、と危惧する声もあった。だが彼女は帰ってきた。

 SP曲「アイ・ガット・リズム」で前よりもっと素敵な笑顔で帰ってきた。

 覚えているだろうか。当時はまだ日本全体が自信喪失から抜け出せず、震災以降、自らの時を止めてしまった人が多数いたことを。

 彼女は知っているだろうか。その笑顔が人々に前を向かせ、止まってしまった時計の針を少なからず動かしたことを。

 あと87日、早く生まれていたらとか、あと1年、五輪が後だったらとか、彼女の「時計」と時代との時差は15歳のころから指摘されていた。だが彼女はあの時、あの場所にいなければならない人だった。

 会見で彼女は2度、ボクらに背中を見せた。笑顔になってくれるなら何回でもいいよ。

 そしてやはり前よりずっと素敵な笑顔で振り返り、涙はこぼれてないよ~とばかりに頬を指さし会見場を後にした。

 ついたての影に消えた彼女の目から1滴の涙が流れ出たのを見た。だがボクのカメラはストロボを光らせなかった。わが愛機は今も彼女を思い続けていて彼女の涙は撮りたくなかったようだ。

 彼女は彼女の「時計」を歩いて行く

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