故郷で宙に浮く「キム・ヨナ通り」議会と母側、思惑すれ違い激突寸前

産経新聞 によると。

 ソチ五輪フィギュアスケート女子の銀メダリスト、韓国のキム・ヨナさん(23)の地元で騒動が持ち上がっている。自治体側が熱望していた「キム・ヨナ通り」の整備計画が頓挫してしまったのだ。背景には、超有名アスリートを地域振興に利用しようとして袖にされた地元の議会と、キム・ヨナさんの母親側との感情のもつれがあるようだ。(韓国軍浦 加藤達也、写真も)

 キム・ヨナさんが高校まで過ごした京畿道軍浦市はソウルから通勤電車で約40分。ソウルのベッドタウンだ。

 「キム・ヨナ通り」となる予定だったのは彼女の母校、道蔵中学の向かい側にある公園の遊歩道から、かつて暮らした団地や母校、修理(スリ)高校前を経て中央図書館に至る約1・2キロ。現在、通りの掲示板もなく、キム・ヨナさんが氷上を滑る像が寒々と立つのみだ。

 市の関係者は、キム・ヨナさんの事務所が道路への氏名使用を拒否したため、命名式など公式な告知活動ができず、仮に「キム・ヨナ名誉通り」と名付けたまま放置していると説明した。

 子供の頃から将来を有望視されていたキム・ヨナさん。小学生時代から始まった市の経済支援は「わずかな」(市の担当者)額にとどまっていたが、ジュニアの世界大会で浅田真央さんとトップを争うようになり、本格支援を開始。2010年バンクーバー五輪での金メダル獲得で、地元のフィーバーは頂点に達した。

 そこで市は“フィギュアスケート女王”の地元として、「氷上競技の街」を地域振興に活用することを考えた。後継者となるジュニア選手の育成に力を入れる一方、キム・ヨナさんを街の広告塔として活用していく。

 こうした期待に応えて彼女も当初は、市民の日のイベントで市長らとのパレードに参加するなど、市側と「良好な関係だった」(市関係者)という。

 しかし“蜜月”は続かなかった。10年にキム・ヨナさんが軍浦市からソウルに転居したころから、双方の間に距離感が生じ始める。

 11年2月、彼女の母親の経営するマネジメント事務所が、「今後、肖像権などを事務所が管理する」と主張し、修理高校で展示していたスケート靴や賞状などを一方的に回収。市議会からは不満が噴出し、09年に持ち上がった「キム・ヨナ通り」計画への支出に否定的な意見が相次いだ。

 市議会では当時、「(キム・ヨナさんの)家の経済事情があまり良くなく、市が財政支援をしたのを忘れたのか」(民主党議員)、「(サッカー元韓国代表の)朴智星氏はサッカーセンターをつくり、休暇中には指導もする。彼女は軍浦市のために何をやったのか」(セヌリ党議員)-など厳しい非難の声が飛んだ。

 これに対し、母親の経営する事務所側は態度を一層硬化させ、道路への氏名使用を拒否。さらにキム・ヨナさんのファンが、批判発言をした議員を激しく攻撃して議員の一人が謝罪に追い込まれるなど、「市議会と事務所の関係修復は難しく、もはや道路どころではない」(市関係者)事態に陥っているという。

 予算執行に反対する市議会とキム・ヨナさん側との間に立つ市は、「関係維持のための努力は続ける」(市青少年教育体育課)と強調するばかりだ。

 彼女の母校、修理高校の金容吉校長は「ゆかりの品の回収は残念。キム・ヨナさんがもっと大人になり、気づいてくれるのを待つほかない」と話しているが…。

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