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4月 252017
 

スポニチアネックス によると。

 テレビ朝日の角南源五社長(60)が25日、東京・六本木の同局で定例会見に出席。現役を引退した女子フィギュアスケートの浅田真央さん(26)への感謝を述べた。

 同局は長年、グランプリシリーズ(NHK杯以外)の中継をするなど、フィギュアスケートとのつながりは強い。先日の「世界フィギュアスケート国別対抗戦2017」も放送しており、21日の「―男子フリーほか」は平均視聴率が16・0%、瞬間最高視聴率が24・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と高視聴率を獲得している。

 角南社長は「フィギュアスケートを国民的スポーツへと押し上げた功績は本当に大きいと思う。これまでのご活躍に心から敬意を評しますとともに、深く感謝します」とコメント。来年の平昌五輪でのキャスター起用などにも期待がかかるが、今後の同局への出演に関して、角南社長は「決まっているものは何もありません」。亀山慶二常務取締役(58)も「何も決まっていません」と補足した。

4月 222017
 

東スポWeb によると。

 フィギュアスケート国別対抗戦(21日、東京・代々木第一体育館)2日目、日本チームは男子フリーで羽生結弦(22=ANA)と宇野昌麿(19=中京大)がワンツーフィニッシュで合計81点とし、首位を守った。2位は米国の78点、3位ロシアは74点、4位カナダが67点、5位中国は59点、6位フランスは46点だった。今大会は6か国が参加して男女各2人、ペアとアイスダンス各1組の順位ごとに与えられる得点の合計で争われる。最終日の22日にペアと女子のフリーが行われる。

4月 212017
 

サンケイスポーツ によると。

 フィギュアスケート・世界国別対抗戦第1日(20日、東京・国立代々木競技場)ブルーの衣装に身を包んだ三原が、飛び上がって喜びを爆発させた。今季最終戦のSPで、ノーミスの演技を披露。スピン、ステップでも初めて最高評価のレベル4をすべてで獲得し、女子SPで3位発進となった。

 「まさか72点も出してもらえるとは思っていなかったのでうれしい」

 今季のグランプリ(GP)シリーズ中国杯で出した得点を3・62点更新し、自己ベストの72・10点をマーク。世界選手権で2回転になり転倒し、15位スタートの原因にもなった最後の3回転フリップもきっちり着氷。今大会に向けて、ジャンプ前のステップから15回連続で3回転フリップを跳ぶ練習を積むなど、努力が実った。

 「世界選手権でミスしたフリップは、ここで挽回しようと強い気持ちで跳べた」

 長年女子を引っ張ってきた浅田真央さん(26)が引退し、初めて迎えた主要大会で三原が躍動。日本女子歴代3位の高得点をマークした。来年の平昌五輪シーズンへ、弾みのつく大会となった。

4月 202017
 

dot. によると。

 来季、フィギュア日本女子は、2018年に開かれる平昌五輪の出場枠「2」を巡って熾烈な戦いを繰り広げる。エースの宮原知子(19)が左足股関節の疲労骨折のため欠場した世界選手権では、樋口新葉(16)と三原舞依(17)という初出場の若い二人と、繰り上がりで出場した本郷理華(20)に五輪の枠取りへの“重圧”がのしかかった。

 その不在でエースとしての存在感を改めて感じさせた宮原は、豊富な練習量に支えられた安定感が持ち味だ。ジャンプの回転不足という課題もこつこつと努力することで乗り越え、表現力にも磨きをかけ、氷上では普段のシャイな素顔とは違う堂々とした姿をみせるようになってきた。けがさえ完治すれば、平昌五輪代表の最有力候補であることは間違いない。

 一方、樋口と三原にとって、初出場の世界選手権で五輪の出場枠を意識せざるを得なかったことは酷だった。しかし、プレッシャーの中での演技は彼女たちにとって貴重な経験となっただろう。二人は今季最後の試合となる国別対抗戦にも出場する。樋口は公式練習でトリプルアクセルに挑み着氷、意欲的な姿勢をみせている。今季シニアデビューした樋口は、表現面に力を入れ大人の滑りもできるようになってきているが、もともとの持ち味は豪快なジャンプだ。樋口特有の勢いのある滑りがみせられれば、平昌への道も見えてくる。

 また、三原は難病で滑ることができなかった時期を乗り越え、今季素晴らしい活躍をみせた。伸びのあるスケーティングと癖のないジャンプを持つが、基礎がしっかりと身に着いた本格的なスケーターで、確かな実力が今季の躍進につながった。受け答えもしっかりし、落ち着いた振る舞いができる彼女には、五輪代表に値する風格がそなわっている。

 急きょ出場が決まった世界選手権で精いっぱいの滑りをみせた本郷は、今季はけがもあり本来の力が発揮できたとは言い難い。経験や実績もあり、万全な状態で臨めば五輪出場を勝ち取る力を持っている。

ソチ五輪代表の村上佳菜子(22)も、ここのところ不本意なシーズンが続いていたが、ベテランらしい味のある滑りをみせていた。ジャンプが安定すれば、再び五輪の舞台を踏める可能性はある。

 さらに昨季の世界ジュニア女王・本田真凜(15)が、来季はシニアに上がってくる。苦しんだ試合もあった今季だが、最後の世界ジュニアでは銀メダルを獲得し、確かな実力を証明してみせた。華やかなスター性を兼ね備えた本田は、既にシニアでも通用する表現力を身に付けており、シニア一年目でいきなり五輪代表となっても不思議ではない。

 一時代を築いた浅田真央が引退した今、強い日本女子の歴史を受け継いで平昌のリンクに立つのは、誰になるのだろうか

4月 182017
 

日刊スポーツ によると。

 浅田は多くの「チルドレン」を生んだ“母”でもあった。05年、15歳で初出場したグランプリ(GP)ファイナルでトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決め、優勝。その姿をテレビで見た子どもたちがスケート場へと向かった。18歳未満の日本連盟の競技者登録は05年の1769人から翌年は2133人、16年度は3854人に増加した。

 その中の1人が三原舞依(17=神戸ポートアイランドク)。昨年10月のGPシリーズスケートアメリカに浅田とともに出場。初めて一緒に滑り「やっほ」と声をかけてもらえたことを3位に入ったことと同じくらい「夢みたい」と喜んだ。3月の世界選手権では、ショートプログラム(SP)15位と出遅れ、失意の中で浅田のソチ五輪フリーの演技を見返した。完璧なフリーで6位と挽回し、ソチの奇跡を再現した。

 平昌五輪のメダル候補、宇野昌磨(19=中京大)にとって浅田は「人生を大きく変えてくれた人」。5歳の時、名古屋・大須のスケート場で声をかけられたのが競技を始めるきっかけだった。「あれだけ頑張らないとトップにいけないんだ、と。尊敬し、手本にしてやってきました」。シニア、ジュニアが共催された15年のGPファイナルでは、本田真凜(15=関大高)らジュニア選手が浅田のストレッチ、練習などを熱心に目で追い、学んだ。浅田の姿そのものが、何よりの教材だった。

 浅田の代名詞トリプルアクセルも、次世代に受け継がれる。昨年9月、女子史上7人目の成功者となった紀平梨花(14=関大KFSC)は「少しずつ浅田さんに近づいていきたい」。国内の多くの女子選手が、試合で跳べる日を夢見て、この大技に挑み続けている

4月 172017
 

スポニチアネックス によると。

 退出直前、ほら、涙こぼれてないでしょと言わんばかりに頬を指差す浅田真央さん。でもこの後に少しだけこぼれちゃったのは内緒

 言葉に詰まりクルリと背中を向けてしまった彼女を見てそんなことを考えた。今度、振り返ってくれるときは前よりずっと素敵な笑顔を見せてくれる。だっていつもそうだった。

 午前11時半の開始予定に報道陣の一番乗りは午前6時だった。フィギュア専科の人、事件、事故の現場で会う人、芸能関係で会う人、プロ野球、サッカー…。「ここに土俵はないぞ」とからかわれているのは国技館でしか会わない人。各方面のカメラマンたちがひしめき合ってレンズを構えた。それぞれが彼女との思い出を持ち、自分こそが一番の写真を撮れると思っている不遜な輩たち。引退会見だというのに最高の笑顔が撮りたいという変な輩たち。彼らの熱さに気圧されて私の撮影位置は会見席の真横、3段の列の最後方で脚立の天板に仁王立ちだ。

 「GO MAO」のバナーも「真央ちゃんガンバ!」の掛け声もない中で会見は始まった。

 「私、浅田真央は…」。高速シャッターやストロボの閃光で時を止めることを生業にしているボクらでもそれに続く言葉は止められなかった。

 「もう一度人生があるならスケートへは行かないと思います」で、脚立から転げ落ちそうになった。

 「結婚」と「台湾」で、いい表情が撮れた(彼女は質問者の方向に体ごと向けて答えるので撮影位置のハンデはない)。

 最後のあいさつ。「笑顔で前へ…」で、切なくなった。

 今までに何度か彼女の笑顔を待っていたことがある。一番の記憶は2012年の宮城・利府町でのNHK杯。前年の東日本大震災。「自分は競技をしていていいのか」という多くのアスリートと同じ悩みを抱えた。最愛の母との別れ。そして春の世界選手権以降、笑顔の数が減った。もしかしたらこのまま、と危惧する声もあった。だが彼女は帰ってきた。

 SP曲「アイ・ガット・リズム」で前よりもっと素敵な笑顔で帰ってきた。

 覚えているだろうか。当時はまだ日本全体が自信喪失から抜け出せず、震災以降、自らの時を止めてしまった人が多数いたことを。

 彼女は知っているだろうか。その笑顔が人々に前を向かせ、止まってしまった時計の針を少なからず動かしたことを。

 あと87日、早く生まれていたらとか、あと1年、五輪が後だったらとか、彼女の「時計」と時代との時差は15歳のころから指摘されていた。だが彼女はあの時、あの場所にいなければならない人だった。

 会見で彼女は2度、ボクらに背中を見せた。笑顔になってくれるなら何回でもいいよ。

 そしてやはり前よりずっと素敵な笑顔で振り返り、涙はこぼれてないよ~とばかりに頬を指さし会見場を後にした。

 ついたての影に消えた彼女の目から1滴の涙が流れ出たのを見た。だがボクのカメラはストロボを光らせなかった。わが愛機は今も彼女を思い続けていて彼女の涙は撮りたくなかったようだ。

 彼女は彼女の「時計」を歩いて行く

4月 162017
 

webスポルティーバによると。

 日本の女子フィギュアスケート界にとって、平昌五輪プレシーズンは大きな変化があった1年となった。エースの宮原知子をケガで欠いた世界選手権で、2006年のトリノ五輪から続いていた五輪出場枠「3」を逃し、4月に入ってからは浅田真央が引退を表明。終盤こそ少し寂しいニュースが続いたが、全体を通して見れば収穫が多いシーズンだったと言えよう。

 まずは、現エースの宮原知子の成長だ。シーズン序盤はなかなか勝ちきれなかったものの、課題を克服しながら実績を積み上げた。昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルのショートプログラム(SP)では、自己最高となる74.64点を記録し、2位のケイトリン・オズモンド(カナダ)と0.90点差の3位につけた。

 フリーでも好調を維持した宮原は、前半で3回転フリップが回転不足となった以外は完璧な滑りを披露した。演技構成点も、すべての項目で8点台後半を叩き出すなど、自己最高の143.69点を獲得。合計点では当時の歴代2位となる227.66点を出したエフゲニア・メドベデワ(ロシア)に敗れたが、キム・ヨナ(韓国)、メドベデワ、アデリナ・ソトニコワ(ロシア)以外の選手が出した最高得点となる218.33点で女王に迫り、充実した戦力を誇るロシア勢と競い合える実力を世界に証明した。
 小柄な宮原は、他のトップ選手と滑りの重厚感に差が出るところを「スピードでカバーした」と濱田美栄コーチは振り返る。それを可能にするのは、宮原自身も「フリーでは、体力の不安を感じたことがない」という、豊富な練習量に裏打ちされたスタミナだ。左股関節の疲労骨折により四大陸選手権やアジア大会、世界選手権の出場を辞退したが、しっかりコンディションを整えられれば、日本女子のなかでは平昌五輪のメダリスト候補の筆頭であることは間違いない。

 そんな宮原を追いかける、三原舞依が急成長したことも大きな収穫だった。三原は昨季のジュニアGPファイナル出場後に、関節の痛みを発する若年性特発性関節炎を発症。シニア1シーズン目は治療をしながらの競技挑戦になったが、GP初戦のスケートアメリカで3位に入った。次の中国杯では、自己最高の190.92点を記録しながら4位にとどまりファイナル進出を逃したものの、全日本選手権で3位に食い込んで四大陸選手権と世界選手権の代表に選出された。

 SP4位発進となった2月の四大陸選手権のフリーでは、「練習で何度もノーミスをしていたので自信があった」と力みのない柔らかなジャンプをすべて決めて134.34点を獲得。SP1位のガブリエル・デールマン(カナダ)や、同2位のオズモンドらを上回る合計200・85点で優勝を飾った。

 平昌五輪の出場枠がかかった世界選手権は、宮原不在のプレッシャーも重なるなかで開幕を迎えた。SPでは最後の3回転フリップが2回転となり、しかも転倒してしまうミス(0点)を犯して15位。しかし、フリーでは気持ちを切り換えてすべてのジャンプを成功させた。四大陸で5項目すべてが7点台に終わった演技構成点も4項目で8点台に乗せ、フリー4位の138・29点、合計197.88点の5位とジャンプアップを果たした。SPでのフリップの失敗がなければ205点台を記録する可能性も十分にあり、次のシーズンにつながる大器の片鱗を大舞台で見せつけた。

4月 152017
 

J-CASTニュース によると。

 きっと泣くまいと決めていたに違いない。

 だが、彼女が21年に及ぶ競技生活に込めた思いは、それを許してはくれなかった。

 浅田真央ちゃん(あえて、「ちゃん」と呼ばせてもらう)が引退会見で、最も印象に残っていると挙げたのは、3年前のソチ冬季五輪のフリープログラム(FP)の演技だった。私にとっても心に残る演技で、いまでもビデオを保存している。ショートプラグラム(SP)で16位と大きく出遅れながらも、完ぺきな演技を見せてくれた、あの奇跡的な場面を振り返ると彼女の競技人生の一端が見えてくる。

■「止められてでも、リンクに助けに行くから」

 2010年のバンクーバー冬季五輪でライバルとして競い合ってきた韓国の金妍兒(キム・ヨナ)に次ぐ銀メダル甘んじた彼女は、ソチ五輪で金メダルを手にすることを目標に、4年間、努力を続けてきた。10代半ばのころと比べて身長や体重も増え、得意のトリプルアクセルが跳べずに不調に陥り、引退まで考えたこともあったという。それでもグランプリファイナルで優勝し、ソチにも万全の体調で乗り込んできたはずだった。

 SPでは押し潰されそうな重圧のなか、冒頭のトリプルアクセルで転倒し、コンビネーションジャンプも不発に終わった。まさかの16位だ。演技の後、放心状態でインタビューに応じた彼女は「まだ何もわからないです」と答えた。二十数時間後に行われるフリープログラムでは、どんなに高得点をたたき出してもメダル圏内に入ることは不可能だ。佐藤信夫コーチが見かねて、人のいない男子更衣室に彼女を誘った。

  「(3回転ジャンプを)できない原因は見当たらない。間違いなくできるはず」

 彼女は聞いているのか、聞いていないのか、ただ茫然としていたという。佐藤コーチは続けた。

  「死ぬ気でやれ。何かあれば、先生が止められてでも、リンクに助けに行くから!」

 ここからFPまでの二十数時間に何があったのか。ユーチューブに数々の証言が記録されている。

 宿舎に戻った彼女は、なかなか寝付けなかった。「4年間目指してきたものが、一瞬にして消えてしまった」という現実に打ちのめされていた。姉の舞さんからのメッセージにも返事を送る気になれなかった。「このままじゃ日本に帰れない」とも思った。周囲は「気持ちを切り替えろ」と励ましてくれるが、頭ではわかっていても心はすぐには反応できるものではない。寝付いたのは午前4時過ぎだったという。

4月 152017
 

日刊ゲンダイDIGITAL によると。

「これからどんな形であっても、フィギュアスケートに恩返しができる活動はしていきたい」

 12日、引退会見でこう話した浅田真央(26)。質疑応答で「トリプルアクセルに声をかけるとしたら?」というNHKアナのトンチンカンな問いにも「トリプルアクセルに声をかけるんですよね?(笑い) どうしよう……何でもっと簡単に跳ばせてくれないの? って感じです」と真摯に答え、最後は泣き顔を見せまいと後ろを向いて涙をぬぐう姿に、メロメロになった人も多いだろう。

 会見には報道陣430人が集結。海外メディアも駆けつけた。中でも、テレビ局は「浅田争奪戦」の真っ最中。来年の平昌五輪でのキャスターデビューをもくろみ、各局がマネーゲームを繰り広げている。

 しかし、舌足らずでゆったりとした幼いしゃべりは言葉通り、いくつになっても「真央チャン」。服装こそ白のジャケットに黒いスカートとアナウンサーさながらの大人びた雰囲気だったが、とてもじゃないが、キャスターの姿を想像できない。

■真央は「そこにいること」に意味がある

 作家の麻生千晶氏はこう言う。

「キャスターは厳しいのではないかと思います。選手は日頃から勝っても負けてもマイクを向けられるので、“取材され”慣れている。会見も聞かれたことに答える流れは同じ。しかし、キャスターは自分から選手に取材し、失敗すれば厳しいことを聞き、時には斜に構えたコメントも求められる。スケート一筋で青春を過ごしていない純粋無垢な真央ちゃんにできるとは思えません。しかも、短時間で言葉をまとめてすぐに答えなければいけない。といって、選手の欠点を的確に厳しく指摘しなければならない指導者の道もどうでしょう。真央ちゃんは『いること』に意味があるのです。お人形さんのように座って、相づちを打っていれば、視聴率は間違いなく取れますからね。それ以外はCMで稼げばいい」

 そうなれば、メーンはやはりアイスショーとCMか。浅田は現在、日本スケート連盟に登録している。登録選手は収入の10%を連盟に“上納”する義務があるから、連盟は浅田に“ヒモ”をつけておきたいだろうが、登録を更新しなければ今年6月末で自動的に外れる。連盟によれば、副会長の荒川静香(35)をはじめ、高橋大輔(31)や村主章枝(36)も引退後は連盟登録を外れており、浅田も同じ道をたどる可能性が高い。

 例えば、荒川は2006年のトリノ五輪で金メダル獲得後に引退。12年には日本スケート連盟の理事になり、2年後には副会長に就任して現在に至る。プロスケーターのかたわら、テレビのキャスターや解説も務めるが、前出の麻生氏が「荒川さんのように、インタビューに無駄がなく分かりやすい解説は期待できない」と指摘する通り、それを浅田に求めるのは酷かもしれない。