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安藤美姫、今季SP初披露「温かく見守ってほしい」

スポーツ報知 によると。

 フィギュアスケートの元世界女王で、4月に女児を出産した安藤美姫(25)=新横浜プリンスク=が21日、茨城・ひたちなか市の笠松運動公園でアイスショーに出演。来年2月のソチ五輪出場を目指し、3季ぶりに復帰する今季のショートプログラム(SP)を公の場で初披露したが、注目されていた曲名はベールに包んだ。

 安藤は光り輝くラインストーンをちりばめたゴールドの衣装で登場。冒頭に予定した2連続ジャンプは単発の1回転になって失敗したが、次の3回転サルコーと2回転半ジャンプは成功。「まだ練習不足で人前で滑れる状態ではないが、感触はよかった。もっといい作品になるよう練習したい」と力を込めた。

 SPの楽曲はロシア人の振付師が選んだもので「自分らしさを忘れずにスケート人生を歩みながら、光っていくイメージ」と説明。だが、肝心の曲名については「契約上の問題がある」として、復帰戦のネーベルホルン杯(26~28日、ドイツ)まで報道陣に公表しないよう求めた。

 公演のフィナーレでは、SPの冒頭で失敗した3回転ルッツを着氷。「回転不足だったけど失敗せずに跳べたのは自信につながる」と手応えを示した。「波のある選手ですが、温かく見守ってほしい」と呼びかけた安藤。観客の前で滑る予行演習を終えて、ソチへの第一歩となるドイツへ旅立つ。

 ◆安藤のソチへの道 日本女子の出場枠は3つ。〈1〉全日本選手権優勝者〈2〉全日本2位、3位とGPファイナル表彰台最上位者〈3〉前2項目の条件から外れた選手と世界ランク上位3人、国際大会シーズン最高スコア上位3人。12月末の全日本選手権終了時にこの3点の順で選考し、代表3人を決定する。2季休養していた安藤は全日本の出場資格がないため、ブロック予選の関東選手権7位以内、東日本選手権6位以内となり、全日本出場権を得る必要がある。全日本までに国際連盟が定めた最低技術点を国際大会でクリアすることも条件

真央ちゃん、集大成の“銀盤”競技使用14曲アルバム

スポニチアネックス によると。

 来季限りでの現役引退を表明しているフィギュアスケート女子の浅田真央(22)の“集大成アルバム”が10月2日発売される。「浅田真央スケーティング・ミュージック2013―2014」というタイトルで、浅田がプログラムなどで使用した曲から思い出深い14曲を自ら選んだ。

 10年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した際の使用曲や、今シーズンのショートプログラム(SP)で7年ぶりに使用したショパンの「ノクターン(第2番)」などを収録。01~02年にかけてSPで使った「セイ・ヘイ・キッド」も収められており、まさに競技人生を集約した楽曲群になっている。

 特典DVDでは姉の舞さん(25)と対談しており「ノクターン」について「最後の五輪シーズンになるから“真央が素晴らしいね”と言ってもらえた曲で滑ろうと思った。7年前より変わってると思って見てもらえるとうれしい」。来年2月のソチ冬季五輪へ向け、来月18日にGP開幕戦スケートアメリカ(デトロイト)に挑む。

安藤美姫「ソチへの第一歩」26日復帰をFBで明言

スポーツ報知 によると。

 4月に女児を出産したフィギュアスケート元世界女王の安藤美姫(25)=新横浜プリンスクが、26日からドイツのオーベルストドルフで開かれるネーベルホルン杯で復帰することが、18日までに明らかになった。2度目の優勝を飾った2011年世界選手権以来3季ぶりの復帰戦に挑み、目標のソチ五輪出場へ踏み出す。

 大会を主催するドイツ・スケート連盟が17日に安藤の出場を発表。日本連盟は18日、ドイツ連盟から正式なエントリー通知が届いたと明らかにした。安藤は国際大会の派遣対象となる日本連盟の強化選手から外れているがドイツ連盟から招待状が届いたという。日本連盟内では出場を認めるかどうかで賛否両論があったが、安藤が出場の意思を示したため了承した。

 当初は12月の全日本選手権の1次予選を兼ねた関東選手権(10月12~14日、新横浜スケートセンター)で復帰し、強化選手に戻ってから国際大会に出場する流れだった。五輪出場には国際連盟(ISU)が定めた最低技術点を国際大会で突破する必要がある。ISU公認の今大会で最低技術点を取得すれば、早くもソチ代表の条件を1つクリアすることになる。

 安藤は交流サイトの「フェイスブック」で「競技への復帰に不安もありますが、これがソチへの第一歩。ベストを尽くしてきます」と約2週間早まった復帰戦に臨む覚悟を示した。

 ◆安藤のソチへの道 日本女子の出場枠は3。まずは全日本予選の関東選手権で7位以内、東日本選手権(11月1~4日・群馬総合スポーツセンター)で6位以内となり、ソチ五輪代表選考会の全日本選手権(12月21~23日・さいたまスーパーアリーナ)の出場権を得る必要がある。全日本までにISUが定めた最低技術点をクリアし、全日本で優勝すれば3大会連続の五輪が確定する。

 ◆安藤美姫のこれまで
 ▽2011年4~5月 世界選手権(モスクワ)で4年ぶり2度目の優勝。同大会後にモロゾフ・コーチとの師弟関係を解消。
 ▽6月 10月開幕のGPシリーズ欠場を発表。
 ▽11月 11~12年シーズンの完全休養を発表。
 ▽12年10月 コーチ不在のため12~13年シーズンも休養を発表し、13~14年シーズンで引退する意向も表明。同時期に妊娠が判明。
 ▽13年4月 女児出産。
 ▽6月 都内で9か月ぶりにアイスショーに出演。
 ▽7月 1日夜のニュース番組で女児出産を公表。
 ▽8月 出産公表後初の記者会見。
 ▽9月 ネーベルホルン杯で3季ぶりの試合復帰を発表。

安藤美姫、26日開幕のネーベルホルン杯(ドイツ)に出場することが日本連盟から正式発表

スポニチアネックス によると。

 連盟も困惑の遠征だ。出産を経てソチ五輪を狙うフィギュアスケート女子の安藤美姫(25=新横浜プリンスク)が、26日開幕のネーベルホルン杯(ドイツ)に出場することが日本連盟から正式発表された。日本連盟は強化指定外の安藤について国際大会は自費遠征でも認めない方針だったが、ドイツ連盟の招待という異例の形で復帰する。

 安藤出産の独占インタビューを放送したテレビ朝日は、CSテレ朝チャンネル2で独占放送すると発表。日本連盟の関係者は「大会の放映権を持つテレビ局の意向も影響し、連盟を飛び越えて話が進んだようだ」と困惑気味だ。連盟内にも出場を認めるかどうか賛否両論があり、2日の理事会でも議題に上ったという。ある強化関係者は「強化部の範疇(はんちゅう)を越えた」と漏らした。

 安藤が五輪に出場するためには国際スケート連盟(ISU)が定める最低技術点(SP20点、フリー36点)のクリアが必要で、ネーベルホルン杯はISU公認大会。絶好のチャンスを前に、公式フェイスブックで「競技への復帰に不安もありますが、これがソチへの第一歩」とコメントした。

招致準備8年…票読み的中、久子さま「勝負は12時を過ぎてから」

産経新聞 によると。

 7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会での最終プレゼンテーション。

 「まず、日本国民を代表して御礼申し上げたいことがございます」

 最初にステージに立ち、東日本大震災へのIOCの支援に感謝した高円宮妃久子さまのスピーチは、総会5日前に日本を出発した後、自ら筆をとって書かれたものだったという。英ケンブリッジ大学ガートン・カレッジ卒の久子さまは英語だけでなくフランス語にも堪能で、IOCの公用語であるこの2つの言語をそれぞれ使って話された。

 「皇族方は招致活動に直接関わられない」というのが宮内庁の立場だが、久子さまのスピーチはIOCへのお礼やスポーツのすばらしさを伝えながら、直接的には招致には触れないという“絶妙な”内容だった。同庁幹部はこう語る。

 「久子さまは招致活動に触れずに、総会の場でスピーチをするには、どうしたらいいのか、よく分かっていらしているのだと思う」

 4年前は実現しなかった皇室の側面支援は「横一線」といわれた招致レースの情勢を大きく変えたといわれる。久子さまのご出席に宮内庁は慎重だったが、安倍晋三首相や森喜朗元首相、猪瀬直樹東京都知事が熱心に根回し、実現した。

 現地入りされた久子さまはIOC委員とご懇談を重ねた。名前や人数、具体的な内容は明かされていないが、ロビー活動に携わった日本オリンピック委員会(JOC)理事の一人は、こんな舞台裏を明かす。

 「日付が変わって帰ろうとすると、久子さまから『もうお帰りになるんですか。勝負は12時を過ぎてからですよ』とお声を掛けられたんだ」

 久子さまはその後も、IOC関係者と熱心に懇談を続けられたという。

   ×  ×  ×

 久子さまとともに復興支援に触れたのが、続いて登壇したパラリンピック陸上女子の佐藤真海さんだった。佐藤さんが最終プレゼンテーションのトップバッターに起用されたのは、震災復興と「スポーツの力」を実体験で語ることができるからだった。

 「私がここにいるのは、スポーツによって救われたから」

 宮城県気仙沼市出身の佐藤さんは、骨肉腫による右脚の切断、故郷の被災という困難を「スポーツの力」で乗り越えた自身の半生を身ぶり手ぶりを交えて表情豊かに訴えた。期待に応えるべく、前夜は入浴中まで練習を繰り返したという。

 「支えてくれた人たちのことやさまざまな思いがよみがえり涙が止まらなくなった。それで気持ちがスッキリし本番を迎えられた」

 会心のスピーチを、IOCのデフランツ委員(米国)は「パラリンピック選手のストーリーが胸を打った」とたたえた。

 久子さまと佐藤さんのスピーチは、「なぜ東京で」という大義名分に乏しいと言われ続けた20年招致の意義を明確にIOC委員に伝える結果となった。

   × × ×

 華やかな舞台の裏では最後まで票読みが続いた。東京招致委員会は約100人のIOC委員の投票予測について「◎、○、△、×」をつけていた。そのなかでキーマンとみていた人物がいた。次期IOC会長の最有力とみられていたバッハ副会長(ドイツ)と、クウェート王族のアハマド委員だ。

 バッハ氏には日本人唯一のIOC委員の竹田恒和氏が熱心にアプローチした。竹田氏はアハマド氏とも何回も会った。同氏は各国オリンピック委員会連合(ANOC)の会長でもあり「キングメーカー」との呼び声もあるほどだからだ。

 ただ同時に「一筋縄ではいかないくせ者」との指摘もあり、8月にはマドリード支持に転じたとのうわさも流れた。東京招致委は急(きゅう)遽(きょ)、森元首相にクウェート行きを要請した。安倍晋三首相も一週間後に同国を訪れたが、アハマド氏とは日程が合わず会えなかった。6日夜遅く、首相と森氏はアハマド氏からの要請で面会した。

 「熱心にアプローチしてくれ感謝している」と述べたアハマド氏は首相らに細かい票分析をしてみせた。

 東京招致委は投票前夜の票読みで、1回目の投票は42票と予想した。それでも「一晩で3~5票は動く」として最後まで働きかけることを申し合わせた。結果は1回目、42票、決選投票で60票。招致委関係者は感慨深げにこうもらした。

 「予想通りの投票結果だった。前回の失敗も含めて構想からほぼ8年かけてつかんだ勝利だった」