7月 162017
 

朝日新聞デジタル によると。

 東京電力福島第一原発にたまっている放射性物質を含んだ処理水について、川村隆会長が海洋放出を決めたとする発言をしたことに、波紋が広がっている。漁業への悪影響を案じ、福島県漁連が14日、抗議文を発表。吉野正芳復興相も同日の閣議後会見で「(放出すれば)風評被害は必ず発生する」と反対の意向を示した。

 第一原発では2011年の事故で溶融した核燃料を冷やすために注水しており、この水が汚染水になっている。その都度、放射性セシウムやプルトニウムなどを処理しているが、弱い放射線を出すトリチウム(三重水素)だけは技術的に除去しきれない。

 この水の海洋放出について川村氏は13日、一部報道機関のインタビューで「(東電として)判断はもうしている」と発言した。これに県漁連は反対し「唐突で真意が理解できない」と発言の撤回を要求。吉野復興相も会見で「これ以上、漁業者を追い詰めないでほしい」と述べた。

 トリチウムを含んだ水は法令上、基準以下に薄めれば海に捨てられる。しかし、福島では地元の反対が強く、現在、第一原発の敷地内には約580基のタンクに約77万7千トンがたまっている。

 第一原発の処理水について原子力規制委員会の田中俊一委員長は再三にわたり、敷地内にタンクが増え続けることで廃炉作業への影響を懸念し、基準を下回れば海洋に放出するよう提唱している。経済産業省の小委員会では、海洋放出しても安全上問題がないとする意見の一方、放出した場合の風評被害の拡大、長期化を懸念する意見が出ている。東電は14日、会長発言について「田中委員長の見解と同様であると申し上げたもの」と釈明するコメントを出したが、処理水の議論が紛糾することは避けられそうにない

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4月 132017
 

女子SPA! によると。

 フィギュアスケーターの浅田真央が引退を発表しました。ピョンチャン五輪への出場を目指すと伝えられていた中での決断には驚かされました。“まだできるのに”と惜しむ声もあがり、改めて影響力の大きさがうかがえるニュースでした。

◆2回の五輪で、メダルよりも記憶に残ったもの

 10代前半から現在に至るまで成長を見てきて、強い思い入れがあるという人も多いでしょう。だけど、特に熱心なファンでなくても、浅田真央を見ると特別な感情がわいてくる。ただ“スケートが上手で天真爛漫な女の子”では片づけられない。

 彼女にはある種の偉大さがあったのです。しかも、それが勝利や成功ではなく、むしろ失敗や挫折を味わうたびに発揮されていたのが興味深い。

 ベタになりますが、やはりこの2つは外せないでしょう。1試合で3回のトリプルアクセルを成功させながら銀メダルに終わったバンクーバー五輪。全身で涙をこらえようとしていた演技後のインタビュー。途中で切り上げても誰も文句を言わなかった状況で、最後まで質問に答え続けました。

 そして記憶に新しいソチ五輪。ショートプログラムでの大失敗を乗り越えて、圧巻の演技を披露したフリープログラムは、いずれもスポーツの枠を超えて真に迫る光景でした。

◆物事がうまくいかなかった時の立派なふるまいとは

 もちろん、良い成績を残すことはアスリートにとって大切です。それが第一に評価を受け、称賛されるべきことがらなのは間違いありません。しかし、同時にアスリートが現役として最前線で活躍できる期間は限られています。競技を終えてからの人生の方が長いわけです。

 だとすれば、スポーツには輝かしい戦績を残す以上に大切なことがあるのではないだろうか?

 それがバンクーバーやソチで浅田真央が教えてくれたことだったように思うのです。

 物事が自分の思い通りにならなかったときにどう振る舞い、そしてそこからいかにして這い上がるか。浅田真央が立派なのは、16歳にしてグランプリファイナルを制したからではなく、その後の不本意な敗北や挫折を受け止め続けたからなのです。

◆大逆転負けしたあとの記者会見で

 アメリカで昨年末に発売された『Win at Losing: How Our Biggest Setbacks Lead to Our Greatest Gains』(著・Sam Weinman)という本には、挫折から学ぶことでより豊かな成功を手にしたスポーツ選手や政治家、起業家などのエピソードが収められています。“ホワイトシャーク”の愛称で知られる、オーストラリアのプロゴルファー、グレッグ・ノーマンの例をご紹介しましょう。

 ゴルファー最大の憧れ、マスターズで2度勝つチャンスがありながら、彼はいずれも逃しているのです。特に前日まで2位に6打差という大差をつけながら、最終日でニック・ファルドに大逆転を許した1996年の大会は、いまでも語り草になっています。

 その96年の試合後の会見で、ノーマンはこう語ったのです。

「マスターズに負けたからといって、世界が終わるわけじゃない。自分にはゴルフ以外に素晴らしい人生がある。プレーが乱れたのには、きっと何かしら理由があったに違いない。まあ試練と言うほかないだろう。しかし、その試練とやらの正体がいまだによく分からないのだが」

 会場にはノーマンを嫌うジャーナリストもいたといいます。そういった連中にとって格好の餌食となる無様な負け方をしながらも潔く会見を開いたノーマン。先の発言も本音ではなかったかもしれません。

 それでも人前に現れ、その場を取り繕い、自分の家族やスタッフをリラックスさせることが大事だった。それが美しい敗者にふさわしい行動だったのです。

 “勝てなかった”という事実と犯した過ち、その全てを自分の身に起きた貴い出来事として受け入れる。そんな辛すぎる作業を経て、初めて次へ向けて立ち上がれるのだと、ノーマンは語っています。

◆敗北には正面から向き合うしかない

 筆者も含め、浅田真央の演技を観ていた人の9割以上はジャンプやスピンの種類など分からなかったでしょう。乱暴な言い方をすれば、そんな枝葉はどうでもよかったのです。

 決して自らを卑下することなく、至らない点があれば、ひとつひとつ丁寧に改善していく。愚直なのに清々しい。

 かつてモハメド・アリはこう語りました。

「もしも敗北に直面したなら、正面から向き合う以外にすべきことはない。それが自分を信じてくれる人々に対しての義務なんだ」

 どうやら偉大な人同士、共通点がありそうです。

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4月 112017
 

日刊スポーツ によると。

 フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央(26=中京大)が10日、自身のブログで現役引退を表明した。14年ソチ五輪シーズン後に1年間の休養。18年平昌五輪を目指し、15年10月に復帰したが、今季は左膝のけがもあり、不調に苦しんだ。昨年末の日本選手権では、今季初めて最大の武器であるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に2度挑んだが、失敗。その後「気力もなくなりました」と説明した。関係者によると明日12日にも都内で記者会見を開く見通しだ。

 浅田はとても頑固だ。柔らかい物腰、純真さを感じさせるその言動、華麗な演技からは一見すると想像は難しい。だが、取材を開始した12年世界選手権(ニース)を思い出すたびに、ある一言がその裏付けをしてくれる。

 当時はどん底だった。11年末に最愛の母を亡くし、自信を取り戻していたジャンプも成長の確信を失った。ニース入り後、公式練習からトリプルアクセル跳び続けたが、フリー演技まで56回連続で失敗。結果は6位。記者としては、そこまでの固執はかたくなすぎて迷いを感じさせた。

 翌日、帰国するニース国際空港。早朝6時、空港に姿を見せた浅田に「お疲れさまです」と声をかけた。予期されたのは、顔を曇らせるか、少なくとも好意的な態度ではなかった。だが、返ってきたのは、「朝からお仕事大変ですね」の声。それは嫌みも一切なく、前日までの悲壮感もまとっていなかった。このギャップがその後もずっと取材し続ける中で、引っかかり続けていた。

 疑問がほどけたのはソチ五輪を挟んで15~16年シーズンまで4年間、浅田を追う中で徐々にだった。分かってきたのは、浅田は迷っていたのではなく、誰よりも「頑固」だということ。例えば3回転半。一時期封印していた時期もあったが、年齢を重ねても決してこの武器を手放すことはなかった。練習でうまくいかないと、練習場から「出てって!」と強い口調で関係者に訴え、黙々と1人で取り組んでいたこともある。強い口調と普段の浅田とは結び付かないが、決めたら実行する芯の強さも彼女の真実だった。

 それを知ると、ニースの朝の空港での言動も理解できるようになった。3回転半を跳び続けたから、貫徹し続けたから、余計な感情の起伏もなく、至って平静に対応してくれたのだろう。容易に想像してしまう「失意の帰国」とは違った姿こそ、彼女の意志の強さ、それを表していたのだなと今では思う。さまざまな困難を乗り越えるなかで戦い続けてきた、それがアスリートとしての強さの源だったとも感じる。

 15~16年シーズンで復帰した際に、こう言った。「それだけではなく24歳でスケート界ではベテランに入ってきている。もちろんジャンプ技術を落とさないことが大事ですけど、それだけではなく大人の滑りができればいいなと」。それとは3回転半のことで、スピン、ステップを含めた演技全体への意識の変化を感じさせる発言だった。「大人」をどう体現していくのか、そこに注目していただけに、今季の滑りに疑問があったのも確かだった。「なぜまた、3回転半にこだわり続けるのか」と。

 ただ、引退を聞いたいま思うのは、最後まで彼女は頑固だったということ。最後になるかもしれなかったシーズン、ジャンプに挑むことがアスリートの本分として、きっと「平静」、当たり前の判断だったのだろう。左膝の負傷の影響は分からないが、引退理由に気力を挙げた。気力とは、物事を成し遂げようとする精神。浅田を支えてきた貫徹する頑固さ、それが競技人生の突然とも思える終幕の理由だったとしても不思議はない

 Posted by at 10:44 PM
4月 112017
 

日刊スポーツ によると。

 NHKは11日、フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダリスト浅田真央(26)が12日に行う引退会見の様子を、予定の番組を変更し、生中継すると説明した。

 放送枠は12日午前11時25分から同54分までの予定という。同放送枠は普段、同11時5分から11時54分まで情報番組「ひるまえほっと」を放送している。同番組を11時25分までの20分間に短縮し、その後、引退会見を放送するという。NHKがスポーツ選手の引退会見を番組の内容を変更して生中継するのは異例という。

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1月 092017
 

毎日新聞 によると。

 東京電力福島第1原発事故の除染で出た汚染土を再利用する環境省の方針に対し、管理方法の説明が不十分などとして原子力規制庁が疑義を呈していることが分かった。再利用に伴う被ばく線量については本来、規制庁が所管する放射線審議会に諮られるが、同審議会への諮問も認めていない。規制庁は環境省の外局で、再利用は「身内」から疑問視されている。

 環境省は昨年1~5月、放射線の専門家らを集めた非公開会合で汚染土の再利用について協議した。原発解体で出る金属などの再利用基準は放射性セシウム濃度が1キロ当たり100ベクレル以下(クリアランスレベル)の一方、8000ベクレルを超えると特別な処理が必要な「指定廃棄物」になることなどを考慮し、汚染土の再利用基準を検討。6月、8000ベクレルを上限に、道路の盛り土などに使いコンクリートで覆うなどの管理をしながら再利用する方針を決めた。

 関係者によると、その過程で環境省は8000ベクレルの上限値などについて、放射線審議会への諮問を規制庁に打診。規制庁の担当者は、管理の終了時期や不法投棄の防止策など、具体的な管理方法の説明を求めた。その際、「管理せずに再利用するならクリアランスレベルを守るしかない」との原則を示した上で、「普通にそこら辺の家の庭に使われたりしないのか」との懸念も示したという。これに対し環境省が十分な説明をできなかったため、規制庁は審議会への諮問を認めなかった。

 放射線審議会は法令に基づき設置され、放射線障害を防ぐ基準を定める際に同審議会への諮問が義務づけられている。指定廃棄物の基準を8000ベクレル超と認めたのも同審議会だった。

 再利用を進める環境省除染・中間貯蔵企画調整チームの当時の担当者は「規制庁に相談したが、諮問までいかなかった」と取材に回答。原子力規制庁放射線対策・保障措置課は「どういう形で何に使うのか、管理はどうするのかという具体的な説明をしてもらえなければ、情報不足で安全かどうか判断できないと環境省には伝えた」と話している。

 ◇解説 8000ベクレル上限は矛盾

 汚染土の再利用を巡り、原子力規制庁が所管の放射線審議会への諮問を認めないのは、8000ベクレルを上限とする矛盾を認識しているからに他ならない。

 そもそも8000ベクレルは、これを超えれば特別な処理が必要になる「指定廃棄物」の基準だ。環境省は今回、この8000ベクレルを上限に、管理しながら汚染土を再利用する方針を決めたが、これはすなわち「特別なゴミ」が、ある一線から突然「再生資源」に変わることを意味する。規制庁が環境省に「管理せずに再利用するならクリアランスレベル(100ベクレル以下)しかない」と原則論を強調したのも、こうしたことを疑問視しているからだとみられる。

 にもかかわらず、法令で義務づけられた審議会への諮問を経ずに汚染土の再利用基準を決めたのは異例だ。環境省の強引な姿勢が問われている

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12月 292016
 

BuzzFeed Japan によると。

ひどい子宮内膜症のため、様々な治療を試していた25歳の私。更年期を誘発する治療法を提案されたとき、私はうろたえずに、それを最良の選択肢として受け入れた。

「ありのまま」を生きる、9人の素晴らしい女性たち
私はいつも心のどこかで、自分の生理は何かおかしいと分かっていた。不規則で1日目から痛みがひどく、放散痛が太ももにまで出て、ズボンが履けないほど足がむくんだ。鮮明に覚えているのは、子どもの頃、暑い夏の日にラウンダーズ(野球に似たイギリスのスポーツ)のピッチにいたときのことだ。紺色のズボンにまで経血が染み込んでいることに気づいた私は、どうやってその場を切り抜けようかと必死に考えた。

主治医は私にピルを処方した。それに続く5年間は、我慢できる程度に症状を抑えてくれる薬はないかと、いろいろなメーカーのものを次々試した。混合ピル、ミニピル、高用量ピル。どれも効いているとは思えなかった。最悪だったのは、黄体ホルモンだけの高用量ピルで、3カ月分の生理が来たかというほど出血し、ずっと終わらないのではないかと本気で心配した。19歳の時には、もうたくさんだと思った。体重は13kg近く増え、惨めだった。そこでピルをやめることにした。自分の自然のサイクルを何らかの形で管理すれば、うまくいくのではないかと考えたのだ。

しかし、続く5年間は、もはやピルが現実を隠してはくれず、症状は悪化した。生理はいつも一緒だった。大学生活、就職、パリへの移住、恋愛といった人生の冒険に、いつもついてきた。2014年の終わりには、生理痛はかなりひどくなっていて、私のパートナーは、体を丸めて吐き気と激しい震えに苦しむ私を見慣れてしまっていた。一度は、救急外来に連れて行ってくれたこともあった。

ずっと医者に通い続けていた私は、24歳のとき、初めて腹腔鏡検査を受けた。答えを模索し始めてから10年後、ついに病名が分かった。子宮内膜症だった。

この病気は第1段階(軽度)から第4段階(重度)にまで分類される。医者は私が最も深刻な段階にあると診断した。子宮内膜が子宮の外で成長し、ほかの器官にくっついて、嚢胞や癒着を起こしているということだった。大きな嚢胞が右の卵巣内で大きくなっていて、高度な瘢痕や損傷を残していた。手術をしなかったらおそらく破裂していただろう。あちこちにあった病変は、手術で慎重に切除された。

腹腔鏡検査の翌月は辛かった。体は治ったけれど、精神状態は悪化していたのだ。私は頭の中の叫びを無視することができなかった。「赤ちゃんを産めなかったらどうしよう」。子どもを産めないかもしれないという考えは、ときに重くのしかかり、胸が苦しくなるほどだった。

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12月 262016
 

デイリースポーツ によると。

 フィギュアスケート世界選手権(来年3月29日開幕、ヘルシンキ)の日本代表選手が26日、門真市内で会見を開いた。女子で全日本選手権で3位に入り、初の世界選手権出場となる三原舞依(神戸ポートアイランドク)が思いを語った。

 フリーでは全体で2番目となる好演技を見せた。そのフリーで用いている楽曲が映画「シンデレラ」のもの。これになぞらえて、「ここまで戻ってこられたのは、たくさんの人に支えていただけたお陰なので、これからもシンデレラストーリーの続きを演じていけたらいいなと思います」と周囲への感謝と決意を語った。

 全日本選手権で初の表彰台に立った喜びから、「夜寝るのが少し遅くなってしまった」という17歳。友人からのたくさんのメールで、応援されていることを実感したという。

 昨年末に全身の関節が痛む難病「若年性突発性関節炎」を発症し、約4カ月リンクを離れたが、見事に復活を果たした。世界選手権へ「私の武器はと言われて答えられるものはないと思うので、トップの選手と戦える強い選手になれるように自分をもっと磨いていけたらいいなと思います」と、さらに輝くシンデレラになることを誓った

 Posted by at 9:27 PM
12月 232016
 

J-CASTニュース によると。

 乳がん治療中のフリーアナウンサー、小林麻央さん(34)が2016年12月22日、骨への転移についてブログで明かした。

 数日前に「体力回復」のため入院したと報告したばかり。これまでよりも痛みが増したとの告白に、ファンからは心配の声が出ている。

■自分自身に「信頼できるようになって帰ろう!」

 12月22日の投稿タイトルは、「心配より信頼」。姉の小林麻耶さん(37)が16日のブログで、「『心配ではなく、信頼だよ』健康に戻る!妹を信頼することが大事」と助言を受けた、と書いたのを受けたものだ。

 姉の言葉を受けて、麻央さんは「信頼は家族にたくさんもらってきました」とコメント。心配があっても、最後には「きっと大丈夫!」と自らを信頼するしかないと書き、

  「今回、今までよりも骨転移の痛みを感じるようになって、『痛い、痛い』という思いで怖くなって先が心配ばかりでいました。また信頼できるようになって帰ろう!と思います」

と結んだ。

 このブログに対して、ツイッターでは、心配の声が出ている。

  「麻央ちゃん、骨転移はきつすぎる…」
  「これは本当に胸が痛む……。早く良くなって欲しい……!! 」
  「同じ母として、同じ女性として頑張って欲しい。心から応援している」

 なお、骨転移については9月20日、

  「この時点では、まだ脇のリンパ節転移のみだった。(その後、現在肺や骨などに転移あり)」

とブログで触れ、カッコ書きでの告白が話題になっていた。

 Posted by at 7:17 PM
12月 232016
 

デイリースポーツ によると。

 公式練習が行われ、出場選手が最終調整を行った。慢性的な左膝の不安を抱え、今季ここまで苦しい戦いが続く浅田真央(26)=中京大=は、連続3回転ジャンプを決めるなど復調気配。ここまで封印してきたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)挑戦にも、意欲をにじませた。4連覇中だった羽生結弦(ANA)が欠場した男子は、成長著しい宇野昌磨(19)=中京大=が4回転フリップを武器に頂点を狙う。

 SPの滑走順抽選が行われ、女子は浅田が最終滑走となる30番に決定。「引いちゃった」と苦笑いだった。昨季女王の宮原が20番、世界ジュニア女王の本田が27番に決まった。男子は初優勝を目指す宇野が第4組の4番目となる20番滑走。昨年3位の無良が21番、NHK杯3位の田中が27番となった。

 銀盤の上で失ったものは、銀盤の上で取り戻すしかない。自己最低の9位に終わり、「自信をすべて失った」と涙に暮れた衝撃のフランス杯から1カ月。瞳に確かな闘志を宿し、真央が勝負のリンクに帰ってきた。

 「今季の中では一番調子がいい状態。技術も体も気持ちも、すべてが上がってきている。大丈夫です」

 公式練習では精度にばらつきはあったが、連続3回転ジャンプを決めるなど、まずまずの仕上がりを見せた。今季ここまでの試合では封印してきたトリプルアクセルにも4度挑戦。成功はなかったが、回転にはキレを感じさせた。「トリプルアクセルは全日本で跳ぶつもりで練習してきた。明日、あさっての練習で1回でも決まったら入れたい」と解禁に意欲をにじませた。

 フランス杯から帰国後、1週間ほど休養を取り、その後は全日本に向けて国内で調整を続けてきた。気持ちがそう簡単に前向きになったわけじゃない。「悩んだし、一度心が折れたこともあった」。それでも戦うことを選んだのは自分。「好きで戻ってきた。自分のスケートを大切にして、SP、フリーとも満足のいく演技をしたい」と自らに言い聞かせるように話し、うなずいた。

 不安がつきまとう左膝の状態を聞かれると、質問を遮るように2度きっぱりと言った。「大丈夫です。大丈夫です」。世界選手権の最終選考会だが、まずはこの大会で全力を尽くす。これまで何度も逆境をはね返してきた自分の力を信じ、ともに道を切り開いてきた大技を信じて、真央が舞う。

 Posted by at 3:49 PM
11月 282016
 

リアルライブ によると。

 警視庁組織犯罪対策5課が28日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで、歌手のASKA(本名宮崎重明)容疑者の逮捕した。

 この日の午後、逮捕情報が報じられると、都内にあるASKA容疑者の自宅には報道陣が殺到。そんな騒ぎをよそに、ASKA容疑者はブログで覚せい剤使用や逮捕について否定。しかし、その後、警視庁が逮捕状を取ったことを各メディアが報じた。

 渦中のASKA容疑者は午後6時半すぎにタクシーで帰宅。その後、午後7時前には自宅ガレージのシャッターが開き、ASKA容疑者を乗せた車がいったん外に出ようとしたが、報道陣が殺到し、とても車が出られるような状態ではなく、ガレージが閉められた。

 その際、ASKA容疑者は報道陣に対し、「やってません」、「(覚せい剤を)使ってない」などと再び容疑を否認していた。

 しかし、 午後8時半前、警察の捜査関係者が乗った車両が自宅に到着。その車両を報道陣が取り囲み、騒然とする中、ASKA容疑者車両の後部座席に乗り込み、任意同行のため自宅を出て、車両は午後9時過ぎに、東京・桜田門の警視庁に到着した。

 ASKA容疑者は今月中旬から25日までの間に都内などで、覚せい剤を使用した疑い。警視庁によると、ASKA容疑者は今月25日、「盗撮されているので確認してほしい」と自ら110番通報。駆けつけた警察官に「盗聴されている」などと話したが、尿検査を行い鑑定した結果、覚せい剤の陽性反応が出たという。

 「覚せい剤常習者は幻覚や幻聴に悩まされ、盗聴・盗撮被害を訴えることがよくある。ASKA容疑者はブログでも再三、盗聴被害を訴えていただけに、警視庁はマークしていたと言われてる」(週刊誌記者)

 ASKA容疑者は14年9月に覚せい剤取締法違反(使用、所持)などで懲役3年(執行猶予4年)の判決を受け現在は執行猶予期間中。公判になれば今度は実刑が確定するだけに、注目が集まる。

 Posted by at 10:13 PM